ヤングエース3月号(2月4日発売)の僕だけがいない街43話『告白 2005.08』のネタバレと考察、そして次回最終回の44話の予想についてです。
いよいよ最終回前の八代との決戦ですが、最終回前の話として相応しい内容でした。個人的に非常に満足です。
さて、これから考察等を行なっていきますが、大いにネタバレしているので、ネタバレが気になる人は先に本誌を見て下さい。ちなみに私は、僕だけがいない街だけが目的でヤングエースを定期購読しています(笑)
43話の概要
- 橋の上の八代と対峙する悟
- 八代は悟が目の前に現れることを予期していたが、久美ちゃんのスケジュール表の時間を15分早く書き換えることで作ったアドバンテージが無になるほど早く到着したため驚愕
- 八代の目的は、記憶が戻った悟の「他者の死に抗う姿」なので、あえて悟の記憶を取り戻すために過去に使用した手口の仕掛けをした、と悟に話す
- 悟は八代と本音で話すために八代の目前まで進む
- 悟が未来から来たことを告げると、ケンヤですら信じなかったことだが八代はすんなり信じる
- ここで終わりにするよう八代を説得するも、八代はそれには応じず、悟と一緒に死のうとする
- 実は歩けるようになっていた悟が、火だるまの状態から八代と一緒に橋の上から池に飛び込む
- 2人はボートに乗ってスタンバイしていたケンヤと澤田に助けられる
- 八代は水面に映った自分の姿を見るも蜘蛛の糸がなくなっており、苦笑する
43話の考察
43話の考察として、以下の4つについて考えてみました。
- 八代が悟を信じるに至った根拠
- 悟が影響を受けた言葉
- 何が「無い」のか
- 八代の頭上に蜘蛛の糸がなくなっていた理由
八代が悟を信じるに至った根拠
八代は悟が何度か同じ時間を繰り返したことをすんなり信じますが、
それを信じるに至った根拠を挙げていきます。
八代が「合点のいく事象が多すぎるんだ」というセリフの背景に、
その根拠となることがいくつか描かれていますね。
- 加代をかくまったバスの車中
- 八代が犯行に及ぶ前に、悟が加代をかくまったこと
- 「八代先生の言葉だよ。こういう時ほど普段通りに落ち着いて…」(22話)
- 悟が言っているのは、「心配事や悩んだりしている時ほどきちんと普段通りの生活をして心を落ち着かせるんだ」という前のリバイバルの時の八代のセリフ(13話)なので、この時の八代も少し不審がっているようなリアクションを取っている
- ユウキさんと白鳥食品
- 加代の事件の前にユウキさんにアリバイを作ったこと?美里を助けようとする際に白鳥食品の車を見て八代に罠にかかったこと?
- 中西彩とカズ
- 中西彩が誘拐される前に、仲良くなって一人ぼっちでいるのを阻止したこと
2つ目の項目は4巻の考察の時に書きましたが、
何回も見直していないと気付かない伏線ですね。
この伏線が活かされるたのは嬉しいです。
詳しくはこちら
➡僕だけがいない街4巻のあらすじと伏線一覧・ネタバレ考察
悟が影響を受けた言葉
今回、悟が八代から影響を受けた言葉として、
2つ言及しています。
これらについて、これまででどの場面で使われていたか振り返ってみましょう。
「心の中に空いた穴を埋めたい」
- 28話。オリジナルの時間軸にて連続誘拐事件を悔いている悟に対し、八代が卒業式の日に言った言葉。『そして残ったのは胸の中にポッカリと空いた「穴」だった』という悟のモノローグに対し、「みんなまだまだ足りない事だらけだ。それは僕もだ。だけどその足りない何かを埋めていくのが人生だと僕は考える」
- 30話。美里を救おうとする悟が車中で八代に心情を打ち明ける。「心のなかに空いてる穴を埋めたいって思ったんだ。他人のも自分のもの。」
「勇気ある行動の結末が悲劇であっていいハズがない」
- 24話。雛月を救った悟に八代がかけた言葉。「悟がとった勇気ある行動の結末が悲劇でいいハズがないだろう?」
- 28話。中西彩を救おうとする悟のモノローグ。『そんな彼女たちの結末が悲劇であっていいハズがない。』
何が「無い」のか
八代は悟の頭上を見て、
「…悟なにも無いよ。」
「無いんだ。小5の頃も現在もそれは変わってない」
と言います。
これは、悟の頭上には蜘蛛の糸が無いということを指しているのだと思いますが、
これがどういうことを指しているのでしょうか?
私がパッと思いついたのが、以下の2つです。
- 八代が切ることはできない(悟を殺害することはできない)
- 釈迦の蜘蛛の糸が無いので、それを伝って悟が助かることはできない(と八代は判断)
正反対の意味ですが、
直感的に考えたのがこの2つのどちらかなのかなと思いました。
前者のほうがしっくりきますが。
これについて是非色んな人の意見を聞きたいので、
コメントいただければ助かります!
ちなみに僕街の小説版では蜘蛛の糸は、
「この世を地獄と知りながらも、死ぬことの出来ない人間に生じるもの」
と八代は解釈していますが、これが原作ときちんとリンクしているのかは不明です。
八代の頭上に蜘蛛の糸がなくなっていた理由
最後のシーンで、八代は水面に映る自分を見た時、
蜘蛛の糸がなくなっているのに気付き苦笑します。
この時の、左手で頭を抑えて「…ハハッ」というリアクションは、
自分の蜘蛛の糸を発見した時と同じリアクションですね。
さて、この蜘蛛の糸がなくなっていたのは何故でしょうか?
解釈が難しいとは思いますが、
私の考えとしては、悟によって切られたからではないかと思ってます。
正確には、悟が助けたことで、糸が切れたといった感じです。
これまでは八代が殺害する人の蜘蛛の糸を切っていましたが、
蜘蛛の糸が切れるというのは、必ずしも「死」を意味するのではないのかもしれません。
悟と一緒に橋から落ちた八代は、
亡者によって糸を切られて地獄に落ちるカンダタという図式が連想できます。
死にたいと願う八代にとって、
死ねないことは地獄に落ちると同義なので、
そう考えると落ちていった八代は芥川龍之介のカンダタとリンクします。
そうすると、悟は生に執着する亡者といった感じでしょうか。(あまりしっくりきませんが)
この考えは漫画を一読して思いついたことを書いているのですが、
今後見直して何か思い至ったら追記していきます。
是非このことに関してもコメント頂けると助かります!
あとがき
以上、43話のネタバレや考察についてでした。
今回で八代との対決には決着が着くだろうとは思っていましたが、
この展開は読めませんでしたね。
特に、39話での北村先生の話が伏線となって、
ここで活かされるというのは予想外です。
ただ松葉杖で愛梨に会いに行くための前フリだと思っていたのが、
悟が歩けるようになっていたという伏線だったとは…。
八代との決着にも納得がいきましたし、
大満足の43話でした。
次号はいよいよ物語も完結です。
どういう終わり方になるのか、非常に楽しみですが、
これで終わるとなると寂しくなりますね。
最終話も次号のヤングエースが発売されたらすぐにブログを更新する予定なので、
3月4日の更新をお待ち下さい。
また、アニメの方も毎週放送日に感想や原作との比較をまとめているので、
こちらも是非ご覧になって下さい。
43話のコメントお待ちしています!
※更新しました。
➡僕だけがいない街最終話(44話)のネタバレ考察
早速の更新ご苦労様です!
連載は全然追いかけていませんが、ここでチェックさせて頂いてます(^_^ゞ
どうでしょう、管理人さんから見て、未消化の伏線等最終回で回収されそうでしょうか?
きっちり回収されそうな雰囲気を感じるのですが…。
時間軸はそのままで終わりでしょうかね?
コメントありがとうございます!
重要な伏線はもうあまり残ってないのではないと思うので、残りも最終回で回収されるのではないかと思っています。
強いて言うなら2001年の事件くらいですね。
他にも悟の文集や加代が悟の夢を知っていたことなど、細かい伏線っぽいものはありますが。
時間軸に関してはそのままでしょうね。
もうリバイバルすることは無いと思います。
とうとう決着がつきましたね!
原作を読み終わってから余韻にひたっておりました(笑)
管理人さんほど考察がするどくないのでトンチンカンなコメントになるかもしれませんが、
結局リバイバルというのはなんだったんでしょうね。
自分なら悲劇(主に人の死)を防げたはずなのにという強い意思(後悔)が、
リバイバルという能力を得ることにつながったのでしょうか?
悟のヒーロー願望も無関係ではなさそうですね。
きっと最終回で明らかになるのでしょうね。楽しみです。
どうなんでしょうね…。
リバイバルについては説明されないのではないかと思います。
尺的な理由もありますが、この作品はリバイバルが前提として話が進んできて、「何故リバイバルが起きるのか」というのが焦点にあたったことが一度もなく、あまり物語の本質では無いと思うので。
個人的な考えとしても、変にリバイバルについて説明されるくらいならなくてもいいかなと思っています。
短い間にここまでの考察&まとめ、感服いたします。
-八代の頭上に蜘蛛の糸がなくなっていた理由- は私は単純に、他者の命を
(八代自身の命も含めて) 八代が自由に出来なくなった象徴だと思いました。
2人が落ちた後、ケンヤ達に助けられた時の佐知子さんの涙ながらの笑顔が
とても印象的で「ああ、終わったのだな」と安堵しました。
私も管理人さん同様 非常に満足できた話でした
最終話は丸々エピローグでしょうね個人的にはカズと中西彩がくっついてんのかな~どうかな~?ってのが気になります。
なるほど。
確かにそう考えると特に矛盾もなさそうですし、悟の頭上に蜘蛛の糸がなかったのにも納得いきますね。
最終回はカズと中西彩も1シーンくらいなら出てくるかもしれませんね。
こんばんわ!2回目のコメです
管理人さん同様僕だけがいない街の為だけにヤングエース買って43話読みました
管理人さんがおっしゃってる悟を亡者として感じる?と言った見解ですが
国語のテストで筆者の考えを適当に答えよという問題が一番苦手な私が考えるに
32話の蜘蛛の糸の図式は
釈迦が吊るした蜘蛛の糸は、ガンダタが救った蜘蛛そのものだったと言うことではないかと
32話の中にも八代がユウキさんを助ける?勇気を与える行為はガンダタが蜘蛛を助けた行為とかぶります。
そして1人だった悟を助けたのはユウキさんです
置き換えれば八代が悟を助けた
八代=ガンダタ 悟=蜘蛛及び蜘蛛の糸
になるのではないでしょうか?
卒業式の話や勇気ある行動の結末が悲劇であっていいハズがないと言ったことは43話でも語られているのように
八代のおかげであると
以上の事を踏まえると自分自身のなかではしっくりくるのですが
どうでしょうか?一つコメントを頂ければ幸いです。
確かに、
八代=カンダタ、悟=蜘蛛
という図式はあると思います。
八代の言葉(善行)で結果的に悟が助かり、橋の上では悟が八代を助けようとしたと考えるとしっくりきますね。
期待を裏切らない43話でした。
1話の愛梨の「言葉ってさ 口に出して言っているうちに 本当になる気がする」という言葉から始まって、たくさんの言葉に支えられてきた悟。そんな言葉をくれた人たちの笑顔が一面に描かれたページにはじんときました。悟が強く共感し、支えにし、行動の原動力にしてきた言葉の多くが八代の言葉というのも皮肉ですね。
43話で気づいた点は、
①悟が八代にリバイバルのことを打ち明けたシーンで、驚く八代の背景に携帯電話が描かれているのは、「携帯電話を利用すること」にどうして悟が気づいたか(42話で八代が驚いている)を八代が瞬時に納得してしまった。これも八代の言う「合点のいく事象(リバイバルを信じる根拠)」の一つということですね。
②「合点のいく事象」のひとつ「中西彩とカズ」の絵。40話で、八代が車の中から二人が並んで歩いているのを見ているシーンがあります。
蜘蛛の糸の解釈は哲学的過ぎて、考えても考えても答えが出ませんでした・・・管理人様の考察を見て、なるほど~って思うだけしかできません。悟の蜘蛛の糸がないのは管理人様の考察でいくと1番のほうですかね。何度も読み返したり、みなさんの考察を参考に、引き続き考えてみたいと思います。
まだアニメもあるし、考察も尽きないので、原作最終話まで退屈することはありませんね。
おぉ!
①も②も見落としていましたが、どちらもその通りですね。
特に②はよく見つけましたね。
最終話ほんとに楽しみです!
この勝負は悟が記憶を取り戻した時点で既に決していた、とも思えるような幕引きでしたね
それだけ悟の原動力となった数々の言葉、意思の力強さを実感するような、なんとも感慨深い回でした
さて、蜘蛛の糸について考察してみようと思うのですが、何だか長くなりそうなのでまずは自分なりの単語の解釈を述べておきます
地獄=普遍的な価値基準(=善悪・肯定否定の対象を決定するもの、ものさし)のみが支配するこの世の中
釈迦=世間の価値基準の象徴、この世の善と悪を示す存在
糸=価値基準そのもの(それに従うことで平穏な生活を保証する=救済)
糸を持つ人=世間の価値基準に縛られた人(八代は例外)
糸を切る=裁く、排除する
以下八代視点で具体的に追ってみようと思います
八代は自らを「物差しの外側の人間」と形容し、自身はあのカンダタや世間一般の人々とは違うとの自覚をあらわにしています
そして代償行為(≒生を実感させてくれるもの、足りない何かを埋めること)は本質的に善悪を問われるべきではないとの主張の下、世間の価値基準(以下ものさし)に縛られ欲望を理性で抑圧する人々を「悪」と考えています
八代の目に蜘蛛の糸が映る時、その人は「悪」でありながら八代を否定することにより、目障りな偽善者として裁かれる対象に認識される瞬間なのではないでしょうか
一方で鏡に写る自分の頭上にも蜘蛛の糸を見ていますが、ここから少なくとも自身が地獄の住人であると認識していることが分かります
加えて世間のものさしに照らし合わせれば自身が裁きの対象であることを自覚しているのでしょう
つまりは世間的に「悪」である自身の代償行為を裏で実行しておきながら、表向きで世間のものさしに従って生きているように取り繕う八代の現状を示唆しています
以上の観点で、八代自身の視点で八代を捉え直すと、
「地獄にいながら釈迦の説く善悪の基準に囚われずに、己の欲望を貫く者」
「釈迦の垂らした糸につかまりながら自分を否定する者の糸を切ることができて、自分の糸は保持したままでいる者」
言い換えれば、
「この世にいながら世間の善悪の価値基準に縛られず、欲望に忠実な代償行為をとる者」
「自分は裁かれることなく、世間の価値基準に迎合するだけの偽善者を、自分の価値基準で断罪することができる者」
と解釈できるのではないでしょうか
(なんだかややこしくなってしまいましたが、ここまできたので続けます)
一方同じく「物差しの外側」にいるとされる悟ですが、悟の行動は八代の考える”世間のものさしに従っただけの善行”だけでは説明のつかないものです
八代と全くもって異なる行動原理と常識を越えた実行力をもつ悟は、八代にとって得体の知れない存在です
(ただしそのイレギュラーさが刺激となり、悟の存在自体が代償行為の上位互換として成立していますが)
よって今まで八代に歯向かってきた人々と同様に悟を裁くことはできません
八代にとっての悟は、
「地獄とは違う次元にいながら他者の救済を試みる者」
「釈迦の糸にしがみつくでもなしに、周りの目を盗んだ八代の欲望に忠実な行動に気付いて見咎める者」
言い換えれば、
「この世のものとは思えない常人離れした思考と能力で、他者の「死」という運命に抗い抜いた者」
「世間一般の偽善者とは全く違う行動原理で、八代の代償行為を見抜き、阻止しようとする者」
と言えるのではないでしょうか
こうして見れば悟はもはや神のような存在であり、当然悟の頭上に糸が見えることもないでしょう
八代が「再上映」のことを受け入れられたのも納得かもしれません
そして今回、八代は悟と共に心中を画策します
これは為す術を失った八代の、世間のものさしによって断罪されるのを最も嫌うがためにとった最終手段でしょう
とはいえ自身のものさしで自身を裁いて代償を得、また最大の敵であり生の実感を与えてくれた悟を葬ってさらに代償を得ようと言うのですから、そいつは高望みってもんです
最終的に八代の糸は消えていましたが、これは悟が切ってしまったとも勿論解釈できそうです
個人的にはあのカンダタのように誰が切るでもなく切れてしまった、と思いたいですね
以上が今回を読んでの自分なりの解釈です
(案の定)冗長になってしまいましたが、管理人さんの考察の参考になれば幸いです
以下適当に感想を
そういえばこれまでを振り返っても、「信じる」がこの物語のキーワードの一つであった訳ですが
「再上映」に関しては元凶の八代だけが「信じる」ことができた、というのがまた皮肉なもので…
悟の行動原理の一端を八代自身の言葉が担っている、というのもまた数奇な運命であり、 他キャラとはまた違う因縁の深さを伺わせますね
あとはシメですね
今回の描写でも悟は(あの2006の)愛梨とハッキリ決別したんだ、という意志が見られました
25話辺りを読み返してもあの決意が成功した未来の原点だと考えてるくさいので自発的に会いに行くのは考えにくいのか…
ループものの王道であるバッタリ再開してときめくendに収まるのか、はたまた予想の上を行く展開になるのか、一ヵ月が待ち遠しいですね
この作品は様々な視点からリンクを見出すことが出来る点でとても味わい深いものになっていると気づかされました(ここの記事には本当に感謝です)
アニメのお蔭で今更になって熱くなってますがwどうしてもっと前から真面目に読んでおかなかったのかと後悔しています
引き続きここの記事をお供に最終回とアニメを楽しみたいと思います
夜分に長文失礼しました
いつも拝見させていただいております。
こんなに楽しいネタバレサイトは他にあるでしょうか(笑)
今回、みなさんの予想通り(?)八代が蜘蛛の糸にちなんでな感じだったのが良かったですね!
次回最終回ということでとても残念ですが、アニメの最終話まで、集中して閲覧させてください!
ちなみに、私の方で超勝手にエピローグ予想・妄想してみました。
ただの妄想ですので、深いツッコミは無しということでwww
■予想・妄想
・一件落着の安堵からか、いきなりの「ドクン」
・(イイ意味での)リバイバル終了でオリジナルの時間軸へ戻る
・橋の下orアパートの前で目覚める
・ダッシュでアパートの自室へ
・佐知子「おかえりー悟ー」
・オリジナル時間軸に、例の3人が生存している状態
・相変わらずピザ屋でバイト
・アイリとの関係もオリジナルと変わらない
・佐知子から小学校の文集へのツッコミが入る
(引越しの荷物整理で目を通した)
・悟の小学校の文集のタイトルが「僕だけがいない街」
(加代の「似た者同士」発言は文集から)
・悟の書いた漫画が大ヒットして、おしまい
↓これはあったらイイなぁっと
加代「悟って・・・」 アイリ「悟さんって・・・」
加代&アイリ「バカなの?」
ダブル攻撃です。
どんな場面かは置いといて、こんな場面があったら発狂しそうですwww
以上勝手な妄想でした。
管理人さんは、どのようなエピローグを妄想していますかー???
エピローグというか、結末としては、アイリとすれ違った駅で、最後に声をかけて終わるというのが綺麗な終わり方かなと妄想しています。
ご苦労様です、いつもお世話になってます。
今回も熱い展開でしたね。最終話はどんな話になるんでしょうか?
まだ2005年の8月なんで、リバイバル前の2006年5月までは時間がありますよね・・。ヒロイン愛梨との関係がどうなるのか、何かしらの展開があると思うので楽しみです。
悟の文集の内容もおそらく、明らかになると思います。悟がどんなタイトルでどんな内容を書いたのか気になります。おそらく悟のリバイバルのきっかけなるものが、ケンヤと雛月が悟に興味を抱いていた理由が分かるのではないかと期待しています。
悟が漫画家として成功するのかも気になります。今の悟なら、編集を納得させる漫画をかけるはずです。
中西彩がどうしているのかも気になるところです。
八代は・・・、正直どうでもいいです。この男にはつくづく疲れさせられました。
2013年のちょうどこの時期に一巻が出て、はまって、その時から約3年間楽しませてもらいました。あんなに次の話が出るのが待ち遠しかったのに、こうして次回の展開を予想するのも最後だと思うと、なんだか寂しいものです。
この漫画は主人公の成長ぶりが素晴らしかった。犯人の予想だったりも楽しかったですけど、臆病な悟が一歩づつ前に踏み出していく様が本当にカッコよかった。友達を助ける小さなヒーロー。男の子なら誰もがそうありたいと一度は思ったことがありますよね。自分も昔のことを思い出して懐かしい気持ちになりました。周りの子達も悟につられて、成長していて良かった。SFサスペンスと見せかけて、ヒューマンドラマでした。
メタファー的な伏線の張り方、表現も良かった。どちらかと言えば静の漫画ですが、登場人物の気持ちがありありと伝わってくる所には驚嘆しました。過去回想シーンがこれほど効果的な漫画もなかなかないと思います。
次号では頑張り抜いた悟の幸せなラストを見たいです。アニメも尺はかなり心配ですが、今のところ凄く良いので期待しています。映画も楽しみですね。ドラマ化なんかもあるかもしれません(笑)
ほんと、今月号は良かったですね!
次号何か発表があるみたいなので、ドラマ化もあるかもしれませんね。
今までのネタバレ考察をみてまとめてみました。
なぜ、悟に糸がないのかはあらたな理由として悟が釈迦だから、ないのではと考察してみました。
僕街の小説蜘蛛の糸
「この世を地獄と知りながらも、死ぬことの出来ない人間に生じるもの」
八代の解釈してますが元々八代は地獄にずっといたのではないかと自分なりに解釈してみました。
ならなぜ、八代に頭上に蜘蛛の糸があったのかというと
八代は今まで他人の糸にのぼって糸を切っていたと推測
(自分の頭上にある蜘蛛の糸は他人のだが自分のと勘違いしていた?)
釈迦=悟
カンダタ=八代兄、婚約者、ユウキ
亡者=八代学
という自分なりの解釈をしてみました。
駄文で申し訳ないです。
確かに、悟は今まで色んな人の命を救ってきたので、釈迦という解釈もあり得ると思います。
アニメしか見ていない者です。貴サイトを拝見し、話題の漫画で、非常に面白い作品であることを知りました。感謝しています。
全く知らないまま、アニメ第1話か第2話を見て、直観で犯人は担任の教師で決まりだろう、あとは主人公がどう犯人と対決し、時間を変えるかだけと軽く考えていましたが、実は色々工夫と見せ場が満載であることを教えて頂きました。この点もありがとうございます。久しぶりにテレビを見るのが楽しみになりました。
でも、1つ首をひねります。何故作品の「現在」が丁度10年前の2006年なのでしょうか。結構長い「空白」に見えます。その中間点に大きな事件(災害)があり、時代も大きく変わっています。どうしてでしょう?
何か意図がありそうな気がしますが…。
この作品は割りと現実世界とリンクしているところがあるので、なにかしら理由がありそうですね。
はじめまして
いつも考察を興味深く読ませて頂いております
今回の考察も素晴らしい内容でなるほど、と納得させて頂きました(八代の説は前者が特に)
僭越ながら違った自説を挙げさせて頂きますと、八代の糸がなくなったのは悟に救われたからではないでしょうか?
蜘蛛の糸は生きることを地獄と感じつつも、死することが出来ない人間に垂れ下がる
それを切ることで八代は釈迦の代わりをしていると解釈している節がありました
しかし、それはあくまでカンダタの結末であって本来釈迦が糸を垂らしたのはカンダタを天国へ導くためです
一方の悟はそれを八代を敗北させることでやり遂げました
ここから考えると悟の糸が最初から無かったのはもしかして悟が釈迦役だと八代が悟っていたからではないでしょうか?(悟だけに……w)
だとすると糸が消えた時に乾いた苦笑を浮かべたのは自分ではなく悟が釈迦役であったと気付いたから……というのはちょっと発想が飛躍しすぎですかね……w
リバイバルという世界の流れを外側から観察できる異能といい悟=釈迦役では?と勘ぐりたくなりますw
最終話はその当たりにスポットを当てた内容になって欲しいですね(願望)
少しは八代の蜘蛛の糸について下調べしてきましたがアニメから興味を持ったのでそこからの視点だと思っていただければ。
八代の解釈では蜘蛛の糸は「この世を地獄と知りながらも、死ぬことの出来ない人間に生じるもの」
しかし、そもそもこの世は地獄なのでしょうか。カンダタは地獄に戻ったわけですが今回はちょっと訳が違います。なぜならば悟は「生かすために一緒に落ちた」からです。釈迦とは異なりますね。そして蜘蛛の糸は「有から無」へと変化します。ということは何かが同質の変化をしているわけです。
地獄だと思い込み蜘蛛の糸に絡め取られているかのように自分ではコントロールできなくなっていた自分の生を糸を切るかのように完全に否定し救い出してくれた人間がいた。
それはカンダタとしての自分の死であり八代学が本当に望んだ世界。悟が母から受けとり渡してきた(一つの解釈として)利己的ではない愛情が八代に注がれた瞬間でもあります。
愛情の存在は蜘蛛の糸が悟になかったことを説明し、糸が見えなかったことは八代が本当は悟に糸がなかった意味を理解していたことを意味します。八代が己が何を望んでいたのかも心の底では理解していたことでしょう。
要するに、彼はかまってちゃんをしていたがそれを救ってくれた人が居たってことかと。人間誰しも同じ境遇ならかまってちゃんをするものです。
八代はカンダタとして生きる運命にしか無い己を嘲笑し、自分が勝手に決めつけた運命を完全に否定された自分を嘲笑した。だがそれこそ本当に望んだことだった。
こんな感じではないでしょうか。
僕はアニメ放映開始から、この作品の裏側などを色々知りたくて
このHPに流れつきました。
しっかり考えた意見などを出し合うネタバレサイトって
とってもステキだと思います。
今回もみなさんの予想の鋭さが
自分の頭ににズバズバと刺さって、僕のひ弱な身体が死にそうです。
さて本題ですが、僕はこの作品の裏側を考察しました
最終ページの編集者のアオリ文句から
>次号いよいよ最終回 >ある発表もアリ
①ある発表とは 第2部または続編の告知
②次号の最終回は 悲劇的なれど新たな明るい予感が続く形で終わる
それを例えると―――ジョジョ第一部の終わり方
③謎や伏線は有る程度残されたまま、第一部完
④第二部は、北海道編(少年期か)
⑤第三部は、未来編(201x年ぐらい)
(この作品は”三部”構成というシャレ?)
理由は色々と有りますが、長文なので割愛
なにはともあれこの作品は、各方面多数の人々に
まだ終わって欲しくない、続いて欲しいと思わせる傑作かと
自分も43話を読んで最初に考えたのは
八代=カンダタ 悟=釈迦 でした。
未来を知っている=神のような存在
と八代は思ったのではないでしょうか?
ただ悟に命を救われたことは本人にとっては救いの手を差し伸べられたのか地獄へ落とされたのか、どちらなんでしょう?
そうやって考えると「悟」という名前もなにか悟りを開いた人、お釈迦様っていう意味合いがあるのかも?
最終回予想としてはやはり文集の存在が気になります。悟が現在に戻ってきて、部屋に駆け込むと佐智子が生きていて文集を読んでいるとか、加代が文集を持ってきて昔話に花を咲かせるとかもありそう。あと現代で同窓会があってクラスの全員が出席して(誰も殺されてない)めでたしめでたしとか、とにかく平和ないい終わりを期待したいですね。
勿論愛梨とのハッピーエンドも盛り込んで欲しいです!!
コメントが途中で切れてしまいました。
皆さん楽しそうなので、私も最終回の妄想に参加させて下さい。予想ではないです、妄想です。
私はまだまだ諦めてません!
・最終回ながら最後にリバイバル。
・犯人に湖に落とされる少し前に戻って、犯人を罠にはめて湖の畔で逮捕。
・人気漫画家になってカヨと結婚し、子供にアイリと名付ける。
・漫画賞受賞日に悟がまた変なことを「声に出てた」で口走り、母娘から「バカなの?」アンサンブルで終了。出来れば暗転して声だけで。そしてre:re:。
(上の方の「バカなの?」W攻撃が最高でしたのでパクりました)
尺的にも論理的にも無理でも是非ともそちらの方向で。三部先生、見てたらこれでお願いします!
悲しい
44話予想参加します!
ストーリーを組み立てるセンスはないので箇条書きで。
<エピソード予想>
☆2005年8月26日(キャンプ)から約8か月後の2006年5月が舞台(原作1話と同じ時期)。
☆治療・リハビリを完全に終え、普通に日常生活を送れるようになった悟。
☆悟は漫画家としてデビューし大成功。ウィキタニカにも載る。デビュー作の内容はリバイバルの経験を基にしたもの。
☆暴走トラックに轢かれそうな小学生を助ける。それを見ていたピザ配達中の愛梨と再会(病院で会ったことを愛梨が覚えていた)。
☆リバイバル現象はもう起きない。
☆ユウキさんが家族全員で悟に会い来る。
<気になっている謎・伏線>
☆悟の文集の内容
☆リバイバルの謎(いつから始まったか、何がきっかけだったか)
悟が15年も眠っていたのは、リバイバルと何か関係がある?
☆ケンヤの秘密
(ケンヤについて、一番引っかかっているのは、2度目のリバイバル後にすぐさま悟に鎌をかけてきたこと。悟がリバイバルしていることを知っていたんじゃないかと)
☆2001年の誘拐事件(八代が関わっていない)の犯人
リバイバルはもう発生しないんじゃないかと予想します。過去には戻らないし、未来(2006年5月)にも戻らない。悟にとって、今が「成功」したベストな世界なので。
仮に未来に戻ったとしても、リバイバル後の改変した過去と時間軸はつながっているので、元の2006年5月の状態には戻らないのではないでしょうか(僕街の世界観ではパラレルワールドは発生しない)。
ほんとに個人的な意見ですが、今回の歴史改変で一番かわいそうなのは佐知子さんかなと。元気な悟と過ごすはずだった15年間の思い出が無かったことになったのがかわいそう・・・佐知子さん自身は不幸だとは感じていないんでしょうが。悟は前の記憶も持っているから思い出の喪失感はそれほどないんですよね。後悔もしてないでしょうし。
そして、もう一つ気になっていること。
最終回の「ある発表」っていったい!?
別主人公での続編スタートとか?
上の「あまちくん」さんの予想を拝見して、大変共感させて頂きましたので、それをベースに少し自分の好みを加えても良いでしょうか?
舞台は少しだけ前で、現代でピザ屋のバイトで初めてアイリと出会う所から。
・病院で会ったことをアイリが覚えているのは同様で、それをきっかけに仲良くなり、悟から告白してつき合うように。
(以前はアイリに対し素っ気ない対応でしたが、今度はカヨにしたように思いやりを持って温かく接する)
・その後悟は漫画家としてデビューし大成功。ウィキタニカにも載る。デビュー作の内容はリバイバルの経験を基にしたもの。 ←ここはそのままいただきます!
・二人の結婚式で、カヨが仲の良い同級生としてスピーチして、悟が子供の頃から文集に書くほど漫画家を目指していた事を話す。
・で、やっぱり最後は、何か悟が「声に出てた」って口走って、 同時に画面が暗転してOPのアジカンが流れ出し、少し溜めてからカヨとアイリで「バカなの?」のダブル攻撃。←だいまじんさん他多数の方からまるパクりです。
ただ悟とアイリをくっつけようとすると、39話でアイリと決別したシーンと矛盾するかとも思われますが、あの時はまだ犯人が捕まっておらず、迷惑をかけたくなくて諦めていたので、犯人が捕まった今、「これで堂々と気持ちを伝えられる」的なナレーションと共に、告白するのもアリかと思います。
兎に角、ヒロインが二人もいて誰とも結ばれないのでは、悟がここまで苦労して自分に向き合い前向きになってきた過程が、報われ切れず、作品として読者に良いメッセージが伝えられないと思います。
長くなりましたが、納得のいく幸せなラストを期待しています。
上の方も言って居ますがヒロインが二人居て誰とも結ばれないって、久美ちゃんはヒロインに含まれませんか?
18歳差は・・・無いかな?(^_^;)
いつも拝見させていただいております。皆様のように考察できるほどの頭は私にはないので感想だけ書かせていただきます。
とても充実した最終決戦にふさわしい内容でしたね。
八代の「だってこれ僕の車じゃないんだ」というセリフから始まり本来の姿を悟に見せたように、悟も「だってこれ僕の言葉じゃないんだ」と言い自分が未来から来たことを告白する場面が特に感慨深くて良かったですね。
はじめまして。
八代先生の蜘蛛の糸は、海外ドラマ「ハンニバル」の
エンジェルメーカーみたいですね。
彼の動機も天使にすることで、
自分も被害者も救いたいという
イビツな正義感とか。
エンジェルメーカーに見えるものは、悪人の顔が燃えて見える。
彼を捕まえにきた、ウィルの本性も
その力で見分けていたり。
ただ、エンジェルメーカーは
ウィルに危害を加えようとする前に、とある人物に逆に天使にされてしまったけど。
似てるな~と思いました
久美ちゃんを佐知子さんが抱きながら花火を見ているということは、救出チームに佐知子さんも加わっていたということなのですね。
過去ではなんでも一人で解決しようとしていた悟が、ここでも成長していると思います。
最終回に登場してほしい人たち。
ああ。もちろん、ユウキさんは登場しますよね。ここは、鉄板でしょう。
最初に悟が無意識に助けたアッコおねえちゃんにも、出てきてほしいです。
(実は久美ちゃんの母親?)
あと、みなさん忘れていると思いますが、悟の父親。いくら離婚したとはいえ、子供が植物状態から奇跡の復活をして、全国的なニュースになっている状態で、まったく現れないということはあるでしょうか。会いに来てくださいよ。
雛月母がその後どういう人生を歩んだかも気になります。善人になっていてくれるといいのですが。
ところで、ひとつ気になっているのが、悟が超絶的な(プロの漫画家の)技術でデッサンした雛月と娘の絵のことです。これ書いてベッドの下に隠したあとに二度目の昏睡状態に入ったので、佐知子さんには見つかっているはずなのですが、それをどう見たのか。悟が「何も隠していない」といった瞬間に佐知子さんには何か隠したことがばれているし、そのあと一回も掃除しないということはないと思うのですが。
やっと読めた。本誌の方でのコメントは初めてです。しかしコメントせずにはいられない内容でした。
管理人さんの素晴らしい考察とても感謝してます。皆さんのコメントにも。なるほど、悟には蜘蛛の糸が出てなかったんですね。だから死ななかった。だから殺せなかった。悟が生きてるのは必然。
蜘蛛の糸を切る=死とした場合、八代の糸は切れたんじゃなくて糸そのものが無くなったんじゃないでしょうか。根拠としては最後の方の小っちゃい一コマで描かれている、燃えてる吊り橋が落ちていない場面。まぁつまり言いたいのは、糸が切れたことを示すならあの吊り橋は落ちても(切れても)良かったのでは?ということです。
悟が八代を捕まえようと考えたときにはすでに八代の糸はなくなってたではないかと推測します。
う~ん、うまくまとめられなくてすいません。
気を取り直してここからは最終話であろう次の話の妄想。流れとかは適当です。
・八代の自首。
・リバイバルはもうしない。だってもう危機は回避してるからこのまま進むでしょう。ただラストに思わせぶりな「ドクン!」がでるかもしれない。
・悟が自身のマンガに「踏み込める」ようになる。作者の顔が見えてくると評価される。もしくは、相変わらず「踏み込めてない」、「作者の顔が見えてこない」と言われる(笑)
・文集が見つかる。何かしら起きる(笑)
・悟ピザ屋でバイト始める。アイリと出会う。なんかやらかして「バカなの」と言われる。
もう終わりか~なんか寂しい。
八代は
生殺与奪を司る釈迦の視点への興味から始まり、蜘蛛の糸を伝って降りていき下にいる者の糸を切ることに刺激を得るようになり、切れない糸を垂らす蜘蛛(悟)を見つけ、それなら蜘蛛を殺してその糸に繋がる者(親友人)も自ら犠牲にしてでもまとめて地獄に落としたいと思うようになったいう感じでしたね
システムそのものをぶっ壊したくなったというか
それはまさに悟の自らを犠牲にしてでも人々を助けたいというヒーロー像との対比です
釈迦によってリバイバル能力(切れない糸を作る蜘蛛、あるいは釈迦そのもの、生)を得た悟を殺せなかった時点で、殺を司る自分も釈迦であるというような願望があった八代の敗北であり、糸が切れ地獄に降りきったことになるわけです
悟によって八代は釈迦に憧れるカンダタでしかなかったことを悟らされたという展開
今日は。
今更ですが、雛月がヒロミと結婚したことに、今更ながら不満を感じます。
悟としては、犯罪を防ごうとする義務感が有ったかと思いますが、雛月にしてみれば、自分を闇から救い出し、命を賭けて自分の人生を大きく変えてくれた悟に対し、悟の介護に一生捧げても良さそうな代え難い存在だったと思います。
確かに、死んでいたはずの2人が結婚して新しい命を授かった事には、意味があると思うのですが、雛月の立場で考えると少し納得が行かないです!(笑)
いい展開ですね!!
私も考えていましたが、八代に沈められる前にリバイバルして勝って、加代との同じ時間を過ごす時間軸になったら嬉しいです。
原作が加代との結婚をさせないのであれば、アニメで叶えてほしい(>_<)
いつも拝見させて頂いております。
毎度、鋭い解釈に唸るばかりです。
さて、「八代の頭上に蜘蛛の糸がなくなっていた理由」ですが、
単純に「死からの生還」という意味合いなのかと想像します。
「あれこれ考えさせられるこの物語」と八代が言っていたことに習うと、もし、『蜘蛛の糸』においてカンダタが地獄からの脱出が実現したとすれば、蓮池から這い上がってくるのではないでしょうか。
『僕街』において八代は、蓮池から岸に引き上げられています(放っておけば死ぬような状態だったのかは不明ですが)。
つまり、八代は蜘蛛の糸を登りきった(登りきってしまった)状態を表しているのではないでしょうか。
自分は「蜘蛛の糸が現れた人」は「生と死の岐路に立つ人」なのかなと単純に考えていたので「糸が切れる」=「人の死」という認識でした(主様と異なりますね)。
ただ「糸が消える」ことは必ずしも「死」を意味するものではないのかなと今号を読んで思った次第です(ここ主様とは同じ認識ですね)。
事実、八代(?)が鋏で糸を切る描写がありませんから、八代の蓮池からの生還も糸を切られたわけではないと解釈することも出来そうです笑
では「悟」は蜘蛛の糸を垂らす「釈迦」なのかと考えるとこちらもしっくりきませんね笑
以上、乱文にて失礼します。
悟が逮捕される時に、アイリもリバイバル(巻き込まれる形で)。
(愛梨は赤ちゃんからやり直し><。)
ただ、そう考えると悟が目覚めたときに、突然病院に現れたのも納得がいくかなぁ。
駅の廊下で再開した時に、悟の顔を覗き込んでたのも気になるし。
夜分遅くに失礼いたします。
勝手に最終話を予想させていただきました。
おそらく八代事件に関するリバイバルはなく、この時間軸で一巻当初の時間まで進むと思います。リハビリも終え、あのアパートに戻る。もちろん佐知子さんと同居です(笑)うらやましい。漫画を描き、辛口編集者に認められデビューする。散歩中に交差点でトラックに轢かれそうな子供を助ける。(小リバイバルがあるかも)愛梨はバイトで現場にいて、病院で悟と会ったことを覚えていて、再会。
みたいな感じですかね。
ユウキさんとの再会も楽しみですし、大人になった小学校のメンバーとワイワイやってほしい!文集もレコードの入ってたダンボール箱の中に入ってて・・みたいな。
八代はもういいです。
アニメ化により、本作品を知りはまった者です。
管理人さんの考察には感服の一言です。
最終回を前に一言コメントさせていただきます。
それは、八代のような人間は存在そのものが許されない者だということです。
原作者さんは八代の過去を描いて、八代の存在に感情移入しているようにも思えます。
しかし、第1話から通して読むとわかるように、八代は完全な鬼畜です。
しかも代わりの犯人まで用意するような人間です。
物語とはいえ、個人的にはこのような人間に絞首刑程度の安楽な罰ですませていいとは思えません。これまでやった罪にふさわしい非業の死によって(法の外で)さばかれるべきかと・・・
ましてや、リバイバルで主人公が活躍したおかげで、被害が少なくなって許されるなどという結末にならないことを祈ります。
匿名様に激しく同意です(;_;)闇から救い出してくれた悟と幸せになって欲しい側ですm(_ _)m
自分もアニメから入った者で、にわかで恐縮ですが、、、
多数の方と同じ意見で、最終回は『声に出てた』からの「バカなの」で終わって欲しいです。
あくまで、勝手な願望ですが、、、、(笑)
お願いだからやめて欲しいラスト。
最初の編集部のシーンに戻って、書き上げた新作を編集に絶賛されてる悟。
そう、全部悟が描いた漫画でした。おしまい
4巻の終わりから5巻にかけて、加代を助けたのにリバイバルが起きず元の世界に戻れませんでしたよね?理由は真犯人を捕まえていないからだと悟は予想していました。
つまり最終話は初っ端リバイバルが起こるんじゃないですか?
一番最初にいた世界に戻ると思うんです。
でも僕の想像力では戻った世界がどうなっているのか見当もつきません。
愛梨がいて、加代もいて、もちろんお母さんもいて。
願望ですが加代はヒロミじゃなく悟とくっついてる…そんなオリジナルの世界に戻ってほしいです。
こんにちは(^_^ゞ
最終回を前に、僕もあれこれ書いてみたいと思います。
結局リバイパルとは何なのかを考えてみて、
『死なずに済んだ者達からの信号』みたいなものかな?と結論づけました。
信号待ちをしていただけで死んでしまった子供。
廃墟で遊んでいて転落死してしまった子供。
志半ばで真犯人に刺し殺されてしまった母親…。
彼らが悟に託したカタチが”リバイバル”なのではないかと。
実際、佐知子が刺された直後のリバイパルで、悟は真犯人を見つけています。
あまり理屈や定義にあてはめるのはナンセンスかもしれませんが…。
蜘蛛の糸については、糸が見える相手=八代が糸を切ることができる相手…という構図のようなので、自分の糸も消えたということは、自分の生死を自分で決められない=自分の運命を相手に委ねる…つまり、裁かれるべき立場になった事の自覚、”諦念”なのだと思います。
最終回はやはり、リバイパルが起きるんじゃないでしょうか。
リバイパルには、本来の道筋に戻す意味ももちろんあるはずです。
悟を取り巻いた混沌から、母親殺害からも、愛梨宅放火からも、自らの逮捕からも一番遠い時間…
第1話の愛梨が見舞いに来ている病室が、一番良い着地点だと思うのですが。
「そういえば悟さんに、だいぶ前この病院で会ったことあるよ?」
「君が何になりたいか話したね。思い出したよ。」みたいなw
悟の文集は最後にモノローグで。
俯瞰で描かれる加代夫妻、ユウキさん、ケンヤ。
………どうでしょう?wこんな妄想はw
はじめまして。
いつも楽しく拝見しています。
皆さんの熱い気持ちのこもった考察、凄いなぁと思って読んでます。
最終回ですが私はひねくれ者なので、この様に考えてしまうのですが悟は実はもう亡くなっているのでは…と。
リバイバルは生に執着する(未練)から起こる現象で息子を亡くした母親の絶望から生まれた物?とか。悟のリバイバル能力には佐知子さんが深く関わっている気がするのです。だから佐知子さんは年を取っていない。なぜなら悟の記憶の中の母親の年で止まっていて年老いた姿を想像出来ないから…。
僕だけがいない街 というタイトルはそのまま現状をしめす物で、悟は全ての心残りを解消して天に登り、最後のページで愛梨が晴れ渡る青空を見上げて終わりとか。アンハッピーエンドは嫌いなので外れている事を願います。
どうしても タイトルが気になってしまっての考察でした。
初めまして、私はリバイバルがもう一度起こり、一巻のピザ屋さんのシーンまで戻り愛梨の夢を言い当て親密になると思います。そしてシフト表の裏をつき、澤田さんの協力を得てアパートで犯人を拘束する。自分的にはお母さんの死はなかったことにしたい。
また漫画家として成功し愛梨と世界中を旅するシーン。
ハッピーエンドを望みます。
こんなに夢中になった漫画は久しぶりでした。
そしてネットサーフィンしていて管理人さんに行き着き考えさせられました。感謝しております。ありがとうございまた。
こんにちわ 残す所あと一回ですね
リバイバルしてきた現在から、本来の時間に戻るのは確実だとして。
雛月と結ばれるENDがイイナーと個人的希望ですね。
リバイバルして雛月が生き残った先では、可愛い男の子と家庭を作っていました。が、サトルも入院することなく雛月とサトルの絆が深まっているならば、可能性あるのではないかと期待してます。
ただし、愛梨の立ち位置を安易に二人の子供とかになるのは忍びないですし・・・
残り二週間、どんな結末になるか楽しみな作品になりました!
お互いにインフルエンザに気を付けましょうね
これ八代と悟は同一人物なんじゃないかと思った。
理由は悟に中学から大人までの描写があまりないこと。対して八代には中学高校の描写があること。
悟には兄がいること。
未来のことを告白しても驚かないこと。
感情や人生哲学が良く被ること。
顔が似ていること。
八代の前妻の顔もアイリに似てること。
もし仮にそうだとしたらすごいバッドエンドですけど、タイムスリップ可能なら辻褄は合うと思うのですが
こんにちは!
いつも管理人様の考察、凄いなーと思ってよんでます!
管理人様の、悟は生に執着するもの?というところですが…
悟は他人の死をやり直すためにリバイバルしてるから、その観点からは、生に執着してる、と捉えられなくもないなと思いました!
いよいよ最終回ですね!
楽しみです!
おそらく、まだ防犯カメラや携帯電話、インターネットが普及していない時代でないとこの物語が成り立たないからじゃないでしょうか?ユウキさんの自宅から見つかった本も、インターネットに検索履歴としてそういうものが無かったのなら信憑性も低いですし、小屋に入る八代の姿が防犯カメラに映っていては元も子もありません。かといって悟が現代で39歳っていうのもマンガ的にあれですし、2006年に設定したのではないでしょうか?
八代の蜘蛛の糸ですが、個人的には、まず前提として八代は悟の他者への死への抗いが正しい救いでは無いと考えていたのではないかと思います
八代は決して悪意だけで殺人を犯していたわけではなく、救済の意味を持たせていたわけですから
蜘蛛の糸が無くなると言うことは地獄に落ちたともとれますが、この世が地獄だと思っていない人にはもちろん蜘蛛の糸はありませんよね
八代はどこかで人を殺さないと救えない事を正当化し、それに自ら縛られていたのではないでしょうか
だからこそや八代と救済の方法が真逆で、蛛の糸が無い悟との対決にこだわり、そうして悟が勝利することで八代の考え方が間違いであったということの証明になったのではないでしょうか
蜘蛛の糸とは地獄のような状況に助けを求めている人を知るためのものであるという考えに至ったのではないかと
八代はもう誰も殺して救済するという方法をとらなくていいということを知り、自ら貸していた地獄のような人を殺害する救済をしなくてよかったのだと知り、蜘蛛の糸が消えたのではないかなぁと
あくまで個人的な意見ですがそう考察しました
舞台設定が2006年なのも気になります。本来の時間軸だと悟と雛月が結ばれて2016年に10歳の子供が居て、その子にリバイバル能力があって、それが一番最初主人公が助けた男の子だったとか
最終回予想皆様の予想面白く拝見させて頂きました
舞台設定2006~1988の件ですが、1988はあの某宮崎元死刑囚の事件が発覚した年
現実とも細かくリンクしていそうですね
八代さんには是非「死刑になりたくない!」といいながら判決食らってほしいです。
アニメからのにわかです。
作品を大切にして楽しむ管理人さんに共感しつつ読んでいました
ありがとうございます。
もうすぐ最終話が出ますが
私は、過去のあまりにも「聡明」な同級生がどうにも引っかかります。
彼は、現在世界の小さなヒロインの父親だったという落ちかも。
「リバイバル」というのは実は誰しも持つ能力で、強い願望で発動するとかね。
この物語世界は、パラレルワールドではなく過去も未来も一体の世界。
主人公の体験した小さな「リバイバル」は、今回の大ジャンプの余震のようなもの
だったのかもしれません。
舞台の時代設定は恐らく2006年というところよりも1988年というところが重要なんだと思います、その時代に何があって何がなかったのかはよく知りませんが
まあどちらにせよ連載開始はそもそも2016年ではないので10年という数字に意味があるとは考えにくいんじゃないかなあと…
蜘蛛の糸に関しては難しいですね、、、私は小説版は読んでいないので正直的外れかもしれませんが、やはり小説と原作では多少解釈が異なるのではないでしょうか
この物語における蜘蛛の糸の意味とは単なる八代がその人の命運を左右できるという証のように思われます、八代にしか見えていないのもそのせいでしょう
そしてそれを切るということは=死を与えるということでしょう
そして芥川龍之介の話になぞらえるならば糸が切れる=地獄に落ちるということになります、つまり
糸が切れる=地獄に落ちる=死
という図式が成立するはずですが、この世=地獄 という解釈になるとここに矛盾が生じてしまいます
そして自分にとっての邪魔者を排除しているだけの八代の行為を地獄からの救済と捉えるのもなんだかなあという感じです
悟に命を救われこれから自分の認めないこの世のルールで裁かれるのに糸が消えてしまうのも意味が通りませんし(むしろ八代にとっては今が正に地獄の真っ只中のような状態のはず)
なので単純に糸は八代の生殺与奪の可不可を表す物だと思います、それだと悟に糸がないことも八代の糸が消えた(あくまで切れた訳ではない)ことも説明がつきます
まあ他の方の考察と同じだったりもしますが、私はこれが一番しっくりきます
カンダタとか釈迦に当てはめるのは少々考え過ぎかなとも思ってしまいます(まあ私がやってるのも含めて考察なんてその考え過ぎを楽しむ為のものでもあるわけですが 笑)
しかしこの漫画、年齢差とか登場時間の長さとかを考えると途中までは愛梨じゃなく加代が正ヒロインだと思っていたのに、その線は無さそうですね
個人的には話の流れぶち切ってまで加代と結ばれてもあれなので最終話では2006年に戻ってきっちり愛梨と再会して欲しいですね
あと少しに迫っていますがこんなにも最終回が待ち遠しいけど続いても欲しい漫画は久しぶりです
こちらのサイトも楽しく拝見させていただきました、どうもありがとう!
最終話ですが、2006年に出る雑誌の中身が白鳥から八代に変わっているのに気づくシーンも入れてほしいですね。
最終回は、この漫画自体が悟の体験談から来る創作とかですかね?
それとも胡蝶の夢みたいに悟が居る複数の世界がある的な感じにするのかな?
個人的には、来週から「僕たちがいる街」とかで後日談書いてほしいw
はじめての書き込みになります。
ネタバレを求めてこちらにたどり着いた者です。
最終回ですが、私の希望としては悟達のその後と八代についての2話構成にあることを望みます。
僕街のストーリーとしては悟達のその後だけでも良いんですが、やはり八代と言うキャラについてはきっちり書き切って貰わないとどこかに未練が残ってしまいますので。
ここから考察の様なものになりますが、八代は蜘蛛の糸を釈迦の立場とカンダタの立場のどちらの側から見ているのでしょうか?
他人の糸を切っているところは釈迦の様にも思えますけど、逆に兄から逃れる為に最初に殺人を犯したことを考えるとカンダタ側だったのかも知れないなとも思ってしまいます。
しかし他者を蹴落としても生を掴んだスパイスと出会って、自分のために誰かの糸を切っても良いという価値観に目覚め、釈迦として誰かの糸を切りたいという衝動を持つようになったのではないでしょうか。
しかしその前に「誰かの為に全力で戦い、糸を切ったにも関わらず生を繋いだ」悟という自身の対局にいるような存在が現れたことにより、その衝動はなりを潜めもう一度悟と対峙したい、もう少し突っ込むと釈迦としての悟にカンダタとしての自分が挑みたいと思ったんじゃないかと。
そう考えると吊り橋の上での「やり遂げたいという意志」と「ない」の対決とか、釈迦とともに地獄に落ちようとした八代の糸がなくなったことも救われたともやっと地獄に落ちることが出来たともいろいろ解釈できそうです。
何はともあれ僕街はもうすぐ終わります。できれば僕街を読むすべてが満足できる結末でありますように。
あらすじと考察ありがとうございます。最終話はタイトルの伏線が解かれるといいなと思ってます。オリジナルの世界から「僕だけがいない街」となる。時間はもう少しあるようですし、その中で何かが起こるのでしょうか。。
予想は難しくて出来ませんが皆さんの意見を見た感じ、
①元の世界に戻って全員生きていることを確認する
そしてアイリかヒナヅキと結婚
②元の世界には戻らないけど、元の世界と同じ時間軸まで進む
そこでアイリと親しくなって…♡
的な最終回が望ましいですね。
嫌なのは、
①漫画オチor夢オチ
②悟と八代が同一人物
③元の世界に戻ったら何も解決していなくて、過去は変えられない…
みたいなラストは御免です。
悟くん、加代ちゃん、
お誕生日おめでとうございます!
元気に「僕街」してますか?
明日でお別れになってしまうかもしれなく、かなり残念な気持ちでいっぱいです。
今までの思い出を何度も振り返ってしまい、いくつかのページが破れそうなくらい、今この時を忘れたくありません(笑)
いずれ、このサイトともお別れがきてしまうのかも…ということを思ってしまいましたが、
毎日サイトを開く習慣がついてしまっているので、とても考えられません!
いつも丁寧にネタバレしていただき、ありがとうございます!
是非ともあと1ヶ月(もっとあるかな?)、僕街中心の生活を楽しませて下さい~☆
はじめまして、お世話になります。
コミックは遅れること昨秋から読み始めてなんとか43話まで辿り着き、アニメも日頃は口をきいて呉れない学生の娘と一緒に視聴中の僕街親父です。
いや~、大変結構なサイトで種々の考察には本当に頭が下がり、兎に角楽しく、また助かりますです。
早い機会にお礼方々投稿しようと思っておりましたが、今日3月2日は雛ちゃんと悟の誕生日、明後日は月刊誌は小学校時の「少年画報」以来本当に久方振りとなるYA4月号を買い込んで読もうという間際のタイミングになってしまい恐縮です。
どなたかがおっしゃっていたと思いますが、貴サイトはよくある上から目線の単なるネタバレを超えていて、角川の関係者でもこのサイトを見て三部さんでも帯書(荒木さんと同じく本の中身を公式に認める必要はないかな)でもして呉れたら、りっぱな公式?(私的)ガイド本として単行本の傍らに置かれたりして・・。
実は、最初は何なの、これ?と思いつつ5話位から完全にはまり我慢出来ずに漫喫での一気読み&さらに理解しようと再度一気読み&8巻分をYAで43話まで来た、連載当初からの僕街現象?を知らないにわか僕街親父でもあります。管理人さんに質問があります。
①僕街は連載当初からヒートアップしたのか?
②それは三部さんの作品と言うことで最初から注目されていたのか?
と言うのも初めてYAを手に取ってみたら、貞本エヴァを掲載していたのは知っていたとはいえYAの読者層が本当に直ぐに僕街に喰らい付いたのか?と言う気がしたもので。
尚、8日の映画試写会に当たったので、映画の欄でも投稿させて頂きます。
長文失礼しました、引き続き考察頑張って下さい。
はじめまして。毎回のネタバレと考察、ありがとうございます。
コミックス7巻までは読んだんですが、続きが気になってこちらを拝見させて戴いています。
アニメの方も3月で完結するようで、尺が足りないのではと悶々していますが…
アニメ制作発表されたのが6巻が発売される少し前であることと、原作とアニメの終わり方についての監督の発言(細かい違いはあると思いますが、おおむね最後のシチュエーションは同じ方向に落ち着くと思います)からして、アニメの結末は自分としては…
原作の真犯人が判明した一つの到着点と最後の終着点をつないで、コンパクトにまとめて、アニメオリジナル的に仕上げるんじゃないのかなと思っています(原作ファンからは、評価が分かれそうですが…)
例えば…原作31話『敗北』と、この原作43話『告白』をミックスしたような形から、真犯人の過去編である原作32話『蜘蛛の糸』が独房での回想か手記にて語られて、原作44話の最終回に至る
…といったイメージを予想しています。
それでも、アニメ最終回は1時間スペシャルじゃないとキツイかなと思います。
原作の最終回は、他の方々も書かれていますが、例の文集が出てくるのではないかなとにらんでいます。
悟の書いた作文のタイトルは、ケンヤの「意外と面白いから」発言からして…
『僕だけがいない街』(雛月の『私だけがいない街』に対して)だと思います。
「無い」のあとの「小5の時」は八代が小5の時、つまり最初の誘拐の時を指していて、その時から誘拐しても心は満たされない=心の穴を埋めてくれるものが「なにも無い」ことを指しているのではないでしょうか。
なんにせよ明後日、楽しみですね!
いつも楽しく考察を読まさせています!
自分も便乗して最終回の予想をしてみました!まず最初は八代逮捕のニュース(現役市議ですから)が出て、しかも連続誘拐犯だったと世間を騒がせます。
そして、裁判やら色々で時は過ぎ…ある日、悟が家に帰ると玄関が開いているのを見て思いだします「今日は2006年5月、母親が死んだ日だ!」元々このリバイバルは悟が殺人犯にならない為に短いリバイバルをした後、母親も助ける為に長いリバイバルをしたので母親が死んだ日を越すのがリバイバルの終わりのはず。
動揺しながら部屋に入ると「おかえり、悟」と言う佐知子と愛梨が。「どうして彼女がここに…」「あんたが隠した電話番号にかけたら彼女が出たんだよ」半年前から連絡を取っていると言う佐知子。
3人で佐知カレーを食べてやっとリバイバルが終わったんだな…とアパートの俯瞰でハッピーエンド!
バッドエンドは部屋に入るとまたもや佐知子の死体が…犯人は別れた旦那、悟の父がニュースを見て2人を探し、部屋に1人でいる佐知子と会い口論の末に刺してしまった…最終回だからコレは無いかな(汗)
やはりハッピーエンドで終わって欲しいですね!
明日が楽しみです!
蜘蛛の糸の内容をみて思ったのですが
悟=釈迦=糸をたらし他者を助けようとする者、と考えると、悟の頭上に糸がないのは当然で「僕だけがいない街」というタイトルは、釈迦は極楽にいるため、地獄に僕(釈迦)だけがいないという意味かもしれません。
また、他者を助けるための糸(手段)が、途中で勝手に切れた場合、直接地獄に行って助けることになるので、地獄の災難がふりかかっているという話なのかも。
つまり、蜘蛛の糸は釈迦がきったのではなく、勝手にきれて、それが心残りだったので、極楽にいる釈迦(悟)が再び現世(地獄)に蘇り、revival=再び+生きて、後悔を取り除く作業をしているのではないかと考えられます。
あと、物語にでてくる数字やエピソードは釈迦に関するものを元にしているのではないかと思います。
私もそうかなと思ったのですが釈迦が出家したのが29歳で悟りを開いたのが35歳なんですよね。
そして悟が決着を着けたのが28歳で愛梨と再会したのが34歳と奇しくも1歳分ずれてるというこの事実をどう解釈すればいいのか浅学な私には辿り着けませんでした。どなたか上手いこと解釈できる人いませんかね
ドラゴンボールでいう精神と時の部屋のように、再上映している期間の存在により、肉体年齢と現実の時間とに差ができて、それを1年間ぐらいとしているのではないでしょうか?
事実、八代の犯行動機を説明するには「生きることに意味を持たなく、死んでいるとおなじ状態だと思っていた」と「スパイスがくれた刺激が自分の生に活を与え、人生って心のなかの穴を(殺人の刺激で)埋めていくものだと思い始めた」との2つしか必要ありませんね。
カンダタと蜘蛛の糸に関わる話とか、善悪とは「理性」にこだわる人間が作り上げた物差しに過ぎないという話は…八代の犯行動機には直接な関連がない。
なのにも「悟には蜘蛛の糸がない」という演出から蜘蛛の糸がもつ意味の重要さが浮かんできたり、悟を罠にはめ殺そうとした時と、今回(43話)での最後の対決との、2回にもあたって語る「八代にとっての善悪の物差し」の話をどう理解すればいいんだろうか…正直、全然にわかりません。
たぶん、これらは八代の犯行動機には直接な関連がなくても、八代の心底にある価値観かなにかを表明しているものであり、この作品が語ろうとするテーマにも相当な関わりがあるだろうと、思ってはいるのですが…
それでその意味とは何なんだろかはー全然来ないですねー 作品を完全に理解してない気がして悔しいです。
1。
八代が離れたところには蓮の池です
蓮の池は極楽
八代は地獄ではなく、極楽に到着します
「悟り」に会って
2。
蜘蛛の巣が見られた人は、兄と婚約者
二人は非常に異なるものです
共通点は、八代が生き残るために殺さなければならないということ
私の考えでは、
八代の目に映った蜘蛛の巣は、
他の人から、その蜘蛛の巣を奪っ
自分が極楽に上がって思ったことがないでしょうか?
すなわち、他の人のウェブも、すべて私ですと言って
奪うことです
自分自身にウェブが見えるのは
いよいよ極楽に上がる道を見つけたからです
悟に蜘蛛の巣がなかったのは
悟を損なうことが極楽に上がるの長さはなかったから
意見お願いします
はじめまして。
久々に原作を読み返してみたら考察記事が読みたくなって、おじゃまさせていただきました。
すごく細かいところまでチェックされていて、なるほどなるほどと、読後の楽しさが倍増しました。ありがとうございます。
今更コメントしても読まれるかどうかわかりませんが、私はあの蜘蛛の糸は「試されている」という意味だと思っていました。
選択を間違えずに正解を選べるかどうかの。
八代にだけ見えているものなので、正しい選択という意味が少々歪んでいるのですが。
糸が消えたのは、もう選択の余地がないというか、審判が下されたということだと思いました。
そういう捉え方はいかがでしょうか。もし目に触れることがあれば幸いです。